南海トラフの歴史地震年表をつくってみた
南海トラフの地震について
南海トラフの地震、特に南海地震は長らく日本の中心地であった近畿地方の近辺で発生することから、古くからの記録が多く残されている。また、周期性があることが指摘されており、年表にまとめてみたいと思った。過去には宝永地震のような東海・東南海・南海連動型地震と呼ばれる地震が発生しており、東海・東南海・南海地震は南海トラフの地震として、ひとくくりにして年表を作成した方が良さそうだ。
まずは範囲について整理してみる。
本来の東海地震は東南海地震も含めた震源域に発生する地震のこと
直近に発生した南海トラフの地震は、1944年の東南海地震、1946年の南海地震であり、気象庁のサイト*1では、浜名湖あたりから東側の駿河トラフ沿いの岩盤だけがずれずに残ったとしている。そういった経緯から、特に今後地震発生が懸念される浜名湖から富士川あたりまでを想定震源域とする地震を東海地震と呼ぶことが多いが、静岡大学の小山真人氏によれば、本来は東南海地震も含めた震源域に発生する地震のことを東海地震と呼んでいた*2らしい。そこで、ここでは東海地震という単語は東南海地震の震源域も含めた意味で使うことにする。まぁそれはそれとして東側は富士川あたりまでだ。
南海トラフの震源域、その西端
南海トラフの震源域といえば、西は高知県足摺岬あたりまでとする資料が多い。だが、地震調査研究推進本部は『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』*3において、下記の理由をあげ、足摺岬より更に西の宮崎県都井岬あたりまでの『日向灘の九州・パラオ海嶺が沈み込む地点』を西端*4としている。
・1707年宝永地震の津波堆積物などの分布から日向海盆の領域も震源域となった可能性がある。
・フィリピン海プレートの構造が、九州・パラオ海嶺の沈み込む周辺で大きく変化している。
文献資料に残る南海トラフの地震
先述の『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』では、南海トラフの地震として、684年の白鳳 (天武) 地震から1946年の昭和南海地震まで文献資料があり、『発生した年が古い大地震については、史料の不足により見落としている可能性があるが、正平 (康安) 地震 (1361年) 以降は、見落としはないと考えられる。』*5と評価している。
慶長地震 (1605年) は津波地震で例外という指摘も
ただし、慶長地震 (1605年) は津波地震であり、南海トラフにおける巨大歴史地震のシリーズから外すべきとの東京大学の瀬野徹三氏の指摘*6もある。
文献資料はないが、他の物的証拠がある南海トラフの地震
文献資料はないが、他の物的証拠がある南海トラフの地震なんてのもある。文献以外に過去の地震を追う方法があるってのは考えてみれば当たり前のことなんだけど、新鮮な感じで面白かった。
最古の文献資料がある684年の白鳳地震以前
『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』によれば、津波堆積物や海底堆積物などの地震の痕跡は、約5,000年前まで遡ることができ、宝永地震 (1707年) クラスの大地震は、300〜600年間隔で発生している(上記*5参照)とのことだ。また、局所的な事象である可能性もあるものの、宝永地震を上回る規模の津波が来たことを示唆する2,000年前の津波堆積物が高知県の蟹ヶ池で見つかっている*7と。では東海地域では?というと、産総研で津波堆積物の調査を行っている藤原治氏によれば、過去4000年程度で他の津波より極端に規模が大きな津波の痕跡は見つかっておらず、また、歴史津波に関しては、1498年明応津波が相対的に規模が大きかったと考えられる*8そうだ。
日本各地の遺跡に残る地震の痕跡
地震の痕跡は日本各地の遺跡からも発見されている。液状化現象の形跡である噴砂や地滑り跡等だ。地震考古学を提唱された寒川旭氏の『歴史から探る21世紀の巨大地震』によれば、紀元前1世紀頃の地震痕跡 (兵庫県洲本市下内膳遺跡、大阪府東大阪市瓜生堂遺跡)、もしくは1~2世紀の地震痕跡 (徳島県板野町黒谷川宮ノ前・黒谷川郡頭遺跡、静岡県袋井市鶴松遺跡) が、高知県の蟹ヶ池に来た2,000年前の巨大津波に対応する地震と考えられる*9としている。
また、寒川旭氏は他の地震痕跡から、3世紀のはじめから中頃 (徳島県板野町宮ノ前遺跡、大阪府堺市下田遺跡、大阪府八尾市志紀遺跡)、西暦400年前後 (大阪府八尾市久宝寺遺跡、奈良県天理市赤土山古墳、静岡県袋井市板尻遺跡) にも南海トラフで巨大地震が発生した可能性が高い*10と指摘。文献資料のない時代にも、南海トラフでは一定の周期で巨大地震が起きていた物的証拠が次々に見つかっている。
最古の文献資料がある684年の白鳳地震以降
先述の『東海地震はどんな地震か?』*11では、白鳳地震以降の10世紀と13世紀にそれぞれ、文献資料はないが、他の物的証拠があると年表に記載されている。ただ、具体的にその物的証拠が何かは提示していないので、他の情報をあたってみた。
10世紀
10世紀に関して、徳島県海陽町浅川の千光寺に津波が描かれた絵馬が残っており、永延元 (西暦987) 年と書かれている。古文書が読める数少ない地震学者の都司嘉宣氏は『千年震災』の中で、『この浅川の津波の絵馬は、仁和五畿七道地震と康和南海地震との約210年の間隔を埋めるべき「忘れられた南海地震」の記録である可能性がある』*12と述べている。この絵馬の写真は国土地理院の『南海地震の碑を訪ねてーUJNR06巡検ガイド(2006.11.8)ー』*13で見ることが出来る。
13世紀
13世紀に関しては、寒川旭氏は、遺跡の地震痕跡 (大阪府堺市岩津太神社遺跡、和歌山県那智勝浦町川関遺跡、静岡県静岡市上土遺跡) から『13世紀初頭に南海地震や東海地震が発生した可能性が高い』*14と述べている。
また、保立道久、成田龍一 監修『津波・噴火・・・日本列島地震の2000年史』の年表では、1245年 (寛元三年) の地震が南海地震だった可能性がある*15としている。
その他、決定打に欠けるが南海トラフの地震が特定の時期にあったとする説
『類聚国史』や『日本紀略』の記述などから794年に南海トラフで地震があったとする説
岡山大学の今津勝紀氏によれば*16*17、下記の理由から、延暦13 (西暦794) 年に南海地震が発生した可能性があるとしている。
・『日本紀略』延暦13年7月10日条に『宮中并びに京畿官舎及び人家震う。或いは震死する者あり。』との記述がある。
・『類聚国史』でも、この年の9月にかけて連続して地震が発生していたとの記述がある。
・2年後の延暦15年に南海道の付け替えがあり、この措置が地震の影響により起きた可能性がある。
ただし、『震死は落雷による死亡の意味』という衒学屋氏の指摘*18もあり、また、今津勝紀氏本人も『地震痕跡の発見が課題』としており、決定打に欠けると思う。
1185年の文治地震が南海トラフの地震だったとする説
都司嘉宣氏は『平家物語』の記述から、文治元 (1185) 年の地震が南海トラフの地震だったと推論*19している。具体的には『平家物語』には、この地震の京都白河や三十三間堂などの被害に続いて『遠国近国もかくのごとし』とあり、『遠国は太平洋側と考えるのが自然で、京都に近い高知は確実に津波が起きたはずだ』と。
ただし、『都司 (1999) は1185年の文治地震を南海トラフの地震であるとしたが、西山 (2000) により、比叡山東麓に分布する琵琶湖西岸断層帯の堅田断層や比叡断層の活動によると指摘され、堅田断層での古地震調査からこれを支持する結果が得られている (Kaneda et al., 2008;地震調査委員会,2009a) 。』*20という琵琶湖西岸断層帯説もあり、これも決定打に欠けると思う。
南海トラフ地震が次に発生するのはいつか?
2030年代のなかば?
後に記載する年表を見ると、だいたい100~150年の周期で起こっているように見える。『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』では、問題点は多いと前置きした上で、室津港(高知県)の隆起量をもとに次の地震までの発生間隔を求めると、昭和地震の88.2年後*21と記載している。つまり、2030年代のなかばに発生するとの予測であり、20年後くらいの話だ。この予想があたった場合、今生きている人が巻き込まれる可能性は結構ある。
200年以上先?
ただし、宝永型地震と安政型地震という異なるタイプの地震が交互に発生しており、100~150年の周期は見かけ上のものという瀬野徹三氏の説もあり、この説では宝永型地震と安政型地震を下記のように分類*22して、100~150年の周期性を否定している。
・安政型地震の可能性のある地震は、684年 白鳳地震、1096年 永長地震 (+1099年康和地震)、1498年 明応地震、1854年 安政地震。
・宝永型地震の可能性のある地震は、887年 仁和地震、1361年 正平地震、1707年 宝永地震、1944年 昭和東南海地震 (+1946年 昭和南海地震)。
この分類に従えば、次に来るタイプは安政型地震であり、このタイプの最短の地震間隔 (明応地震と安政地震の間隔356年) からすると、次は200年以上先であると予測される*23と述べている。
年表
文献資料や物的証拠はあとで個別に追うとして、とりあえず書き出してみると下記のような年表になった。
====================================================================
5000年前:海底堆積物や津波堆積物などで辿れる最古の地震痕跡
:
300〜600年間隔で宝永地震 (1707年) クラスの大地震が発生
:
紀元前1世紀頃:遺跡の地震痕跡 (兵庫、大阪)
2000年前:高知県の蟹ヶ池で発見された宝永地震を上回る厚さの津波堆積物
1~2世紀:遺跡の地震痕跡 (徳島、静岡)
:
3世紀のはじめから中頃:遺跡の地震痕跡 (徳島、大阪)
:
西暦400年前後:遺跡の地震痕跡 (大阪、奈良、静岡)
:
684年:白鳳 (天武) 地震 (南海、東海?) [安政型地震?]
↑
110年
↓
794年?:『類聚国史』や『日本紀略』の記述などから794年に南海トラフで地震があったとする説
↑
93年
↓
↑
100年程度?
↓
10世紀:987年の千光寺絵馬に描かれた津波
↑
100年程度?
↓
↑
86~150年程度?
13世紀初頭:遺跡の地震痕跡 (大阪、和歌山、静岡)
1245年?:寛元三年の地震が南海トラフの地震だったとする説
↑
100~176年程度?
↓
1361年:正平 (康安) 東海地震 [宝永型地震?] ※これ以降の地震は史料見落としがないとされる
↑
137年
↓
↑
107年
↓
↑
102年
↓
↑
147年
↓
↑
90年
↓
↑
68年経過(2014年現在)
====================================================================
以上、おしまい。
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*3:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』地震調査研究推進本部
*4:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 概要資料』地震調査研究推進本部(p4)
*5:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 主文』地震調査研究推進本部(p6)
*6:『南海トラフ巨大地震─その破壊の様態とシリーズについての新たな考え─』瀬野徹三氏(p2)
*7:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 主文』地震調査研究推進本部(p7)
*8:『地形・地質記録から見た南海トラフの巨大地震・津波(東海地域の例)』藤原治氏(p2)
*9:『歴史から探る21世紀の巨大地震』寒川旭氏(p198~p199)
*10:『歴史から探る21世紀の巨大地震』寒川旭氏(p194~p198)
*12:『千年震災』都司嘉宣氏(p143)
*13:『南海地震の碑を訪ねてーUJNR06巡検ガイド(2006.11.8)ー』国土地理院(p1)
*14:『歴史から探る21世紀の巨大地震』寒川旭氏(p178~p179)
*15:『津波・噴火・・・日本列島地震の2000年史』保立道久氏、成田龍一氏 監修(p198)
*16:『794年に発生した未知の巨大地震を確認』今津勝紀氏
*17:『794年に発生した未知の巨大地震を確認 (添付資料)』今津勝紀氏
*18:『平安遷都直前に「南海地震」は本当か?―歴史地震の実証性』衒学屋氏
*19:『【過去からの警鐘 埋もれた巨大地震】(3)絵が示す未知の南海地震』MSN産経ニュース
*20:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 説明文』地震調査研究推進本部(p14)
*21:『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版) 主文』地震調査研究推進本部(p8、p14)