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684年:白鳳(天武)地震

前回の記事「南海トラフの歴史地震年表をつくってみた」では、全体を追ってみたので、個別にも追ってみたくなった。最古の文献資料がある684年の白鳳地震以前の南海トラフ地震に関しては、「南海トラフの歴史地震年表をつくってみた」で書いた以上のことを書くのはネタがなく断念したので、そちらをご参照ください。

という訳で文献で追える最古の南海トラフ地震、白鳳地震について、下記の内容をピックアップ。

・文献資料

・遺跡調査、地形・地質調査などで発見された地震の痕跡

・伝承

なんか羅列だけになっちゃったけど、意外と良い資料がWebで読めるということだけでもせめて紹介したいので、脚注はなるべくちゃんとつけるようにしたよ。

前後の年表

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5000年前:海底堆積物や津波堆積物などで辿れる最古の地震痕跡

    :

    300〜600年間隔で宝永地震 (1707年) クラスの大地震が発生

    :

紀元前1世紀頃:遺跡の地震痕跡 (兵庫、大阪)

2000年前:高知県の蟹ヶ池で発見された宝永地震を上回る厚さの津波堆積物

1~2世紀:遺跡の地震痕跡 (徳島、静岡)

    :

3世紀のはじめから中頃:遺跡の地震痕跡 (徳島、大阪)

    :

西暦400年前後:遺跡の地震痕跡 (大阪、奈良、静岡)

    :

684年:白鳳 (天武) 地震 (南海、東海?) [安政地震?]

    ↑

    110年

    ↓

794年?:『類聚国史』や『日本紀略』の記述などから794年に南海トラフ地震があったとする説

    ↑

    93年

    ↓

887年:仁和地震 (南海、東海) [宝永型地震?]

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白鳳地震について

白鳳地震は、684年に発生した南海トラフ巨大地震と推定される地震であり、南海トラフ巨大地震のなかでも文献資料に残るものとしては今のところ最も古い地震だ。文献資料には地域的に南海地震によると思われる被害のみ記載されているが、遺跡に残る地震の痕跡などから、東海地震も同時期、もしくは連動して発生したと推定されている。

文献資料

日本書紀

日本書紀』の天武天皇十三年 (684年) 十月条は、十四日に諸国に被害を及ぼす大地震が起き、伊予 (愛媛県) の温泉の湧出が止まり、土佐国 (高知県) では多くの田畑が海に没したと記録している。静岡大学の小山真人氏によれば、伊予の道後温泉は他の時代の南海地震でも湧出停止があり、高知県の広い範囲は南海地震の際に沈降することが知られている*1とのことだ。

日本書紀 天武天皇十三年 (684年) 十月条

 『壬申 (みづのえたつのひ=十四日)に、人定 (ゐのとき) に逮 (いた) りて、大 (おほ) きに地震 (なゐふ) る。国挙 (くにこぞ) りて男女叫 (をのこめのこさけ) び唱 (よば) ひて、不知東西 (まど) ひぬ。則 (すなわ) ち山崩 (やまくづ) れ河涌 (かはわ) く。

 

諸国 (くにぐに) の郡 (こほり) の官舎 (つかさやかず)、及 (およ) び百姓 (おほみたから) の倉屋 (くら)、寺塔神社 (てらやしろ)、破壊 (やぶ) れし類 (たぐひ)、勝 (あげ) て数 (かぞ) ふべからず。是 (これ) に由 (よ) りて、人民 (おほみたから) 及び六畜 (むくさのけもの)、多 (さは) に死傷 (そこな) はる。

 

時 (とき) に伊予温泉 (いよのゆ)、没 (うも) れて出 (い) でず。土左国 (とさのくに) の田苑五十余万頃 (たはたけいそよろづしろあまり)、没 (うも) れて海 (うみ) と為 (な) る。古老 (おいひと) の曰わく、「是 (かく) の如 (ごと) く地震 (なゐふ) ること、未 (いま) だ曾 (むかし) より有 (あ) らず」といふ。』*2

 同じ年の十一月条には、土佐国 (高知県) から税 (調) を運ぶ船が多く流されたとの報告があり、この被害は白鳳地震の際の津波によって生じたと思われる。

日本書紀 天武天皇十三年 (684年) 十一月条 

『庚戌 (かのえいぬのひ=三日) に、土左国司言 (とさのくにのみこともちまう) さく、「大潮高 (おほしほたか) く騰 (あが) りて、海水飄蕩 (うなつみただよ) ふ。是 (これ) に由 (よ) りて、調運 (みつきはこ) ぶ船 (ふね)、多 (さは) に放 (はな) れ失 (う) せぬ」とまうす。』*3

また、天武天皇十四年 (685年) 四月条には、紀伊国 (和歌山県) の白浜温泉の湧出が止まったという報告がある。小山真人氏によれば、これも他の時代の南海地震に伴ってみられる現象(前掲*1参照)だという。 

日本書紀 天武天皇十四年 (685年) 四月条

『夏四月 (なつうづき) の丙子 (ひのえね) の朔己卯 (ついたちつちのとのうのひ=四日)。紀伊国司言 (きのくにのみこともちまう) さく、「牟婁湯泉 (むろのゆ)、没 (うも) れて出 (い) でず」とまうす。』*4 

 熊野年代記

後世の記録であるが、『熊野年代記』にも、684年に熊野の浦々へ津波が来た記録がある。また、翌年685年にも、熊野三山が大破したので修繕費用が下る、との記録があり、地震の影響をうかがわせる。

熊野年代記 甲申十三 (684年)

『去年御幸式定大辺路 (ノ) 通路 (ヲ) 中辺路 (ニ) 定給 (ウ) 新進 [二](ツリ) 弓矢 [一] 納金佛各神宝 (ヲ)[一] 熊野浦々 (ニ) 津浪入

詔男女衣服神造 [二] 伊豆島 [一] 十 (ノ) 十四大地震』 

熊野年代記 乙酉十四 (685年) 

熊野三山大破造修料黄金下 (ル) 御輿 (ヲ) 錺 (ル)』*5

 遺跡調査、地形・地質調査などで発見された地震の痕跡

文献資料にある南海地域だけでなく、東海地域からも白鳳地震と同時期と考えられる地震津波の痕跡が見つかっており、東海地震も同時期、もしくは連動して発生したと推定されている。地震津波の痕跡は南海地域でも同じように発見され、西は九州の大分県でも見つかっており、かなりの広範囲に影響が及んだようだ。

東海地域

地震

・静岡県富士市浮島ヶ原の地殻変動履歴 [産総研調査]*6

・静岡県静岡市の川合遺跡 [寒川旭氏]*7

・静岡県袋井市の坂尻遺跡 [寒川旭氏](前掲*7参照)

・愛知県一宮市の田所遺跡 [寒川旭氏](前掲*7参照)

津波

・静岡県磐田市袋井市太田川低地の津波堆積物 [産総研調査]*8

三重県志摩市の志島低地の津波堆積物 [産総研調査](前掲*6参照)

三重県尾鷲市津波堆積物 [産総研調査](前掲*6参照)

南海地域

地震

奈良県明日香村の酒船石遺跡 [寒川旭氏](前掲*7参照)

和歌山県和歌山市の川辺遺跡 [寒川旭氏](前掲*7参照)

津波

高知県土佐市の蟹ヶ池の津波堆積物 [高知大調査](前掲*6参照)

高知県土佐市のただす池の津波堆積物 [高知大調査](前掲*6参照)

大分県佐伯市の龍神池の津波堆積物 [高知大調査](前掲*6参照)

伝承

高知県

都司嘉宣氏によって多くの伝承が収集されている。真偽はとりあえずおいておいて、主要なものを抜粋しておく。何かのヒントになるかもしれない。

東は室戸岬、西は足摺岬にわたる「黒田郡」が水没したという伝承

土佐国吾川郡長岡郡高岡郡幡多郡の各地に「黒田郷」水没の伝承あり』*9 

[土佐大震記]<高知市民図書館所蔵、K210-トサ> 

『斯く地震のために陥没したる面は、東の方、室戸岬より、西の方、足摺岬にわたる、黒田郡と称ふる一円の田島にして、黒田郡の外に、黒土、上鴨、下鴨の三郷に分れ、石高は二十六万石ほどの地なり。』*10

 [土佐遺事雑纂 (上)]<県図、K270-3>

『(○黒田郡ハ)白鳳年中地震ノ為メニ沈没ス、今尚ホ浦戸ヨリ南海三里計リノ所ニ堤防ノ如キモノアリ』*11

 [西土佐村史]<編集委、昭45>

『(※筆者補足:白鳳地震で水没した)その土地は鍵掛郡、小県郡と称した由であるが、一説によれば黒田郡と称したとも伝えられる。今もなお渭南地方に鍵掛小方の地名があるを見れば、やはり幡多郡南方の地ではなかったかと想像される。』*12

海辺で繁栄していた「大郎 (良?) 千軒」「小田千軒」「大坊千軒」という街が水没したという伝承

[土佐大震記]<高知市民図書館所蔵、K210-トサ> 

『当時此の海辺には、大郎千軒、小田千軒などいへる、賑やかに栄えたる浦里ありしも、此の大地震の時、海底に沈没したるなり。』(前掲*10参照)

 [土佐古今の地震]<寺石正路著、土佐史談会、大11>

高岡郡吾川郡南部海浜の所伝

昔、大良千軒、小田千軒などいへる繁栄の市あり白鳳地震の時陥没して今海底に帰せり』(前掲*11参照)

[土佐古今の地震]<寺石正路著、土佐史談会、大11> 

高岡郡多之郷村、鴨神の所伝

昔白鳳の前、須崎の海上に大坊千軒と称する繁栄の市あり一日漁人其浦にて奇異なる人魚を獲たりしが浦中の一少女がこれを舐ぶりしに成長し極めて長寿を享け諸国を遍歴し若狭の国に留まり八百歳の齢に達し為に八百比丘尼の名を獲にしが後に土佐にかへり産土神なる鴨社に石塔を寄進せり大坊の浦の大震の時海底に帰せしが鴨社の石塔は今に現存せり』(前掲*11参照)

高岡郡野見・大谷・久通などの山上にある古墓は大昔須崎の海上にあった大市街の墓山という伝承

[土佐古今の地震]<寺石正路著、土佐史談会、大11> 

高岡郡に伝ふる所

高岡郡野見・大谷・久通等の諸村の山上に無数の古墓あり自然の土盛をなすあれば或は自然石を置きて標とす中には神護景雲三年当国に流されたる氷上志計志麿の墓と伝えらるゝもあり此等の場所は孰れも大昔須崎の海上にありし大市街の墓山にして白鳳地震の時市街は陥没し名残とし墓山のみを残せる者なり (因に記す氷上志計志麿当国配流の事は続日本紀高野天皇紀に見え正史的の事実なり神護景雲は白鳳より遥か後の事なれど昔よりの墓所故埋葬せしものといひ伝えしならむ)』(前掲*11参照)

[南路志]<武藤致和筆、高知県文教協会刊> 

『大谷村に属する駿岐山ハ一山墳墓の地にして大小の古碑百千を以数ふ白鳳以前本村の三昧地なりと云実にさも有るべし今の人屋百戸に過さる本村の墳墓所とは思ふへからず野見千軒と称し小都会たりし事確乎たり』(前掲*12参照)

 [南海大震災誌]<広木三郎編、昭24>

『古老の伝説によれば白鳳以前我が須崎附近に戸嶋、千軒、野見、十軒と云ひて戸嶋と野見とは当町一市邑にして長者の鼻は住居せし屋敷跡なり。』*13

 高知市の比島は津波で流された山の一部によって出来たという伝承

[日本の地震津波]<沢村武雄著> 

高知市街の入口なる浦戸港の北方を孕という。距離六、七町の小海峡をなす。白鳳大変の時、大浪南方より打寄せ、この山脈を蹴破りて、小海峡をなせしが、当時その打欠ぎたる山の一部をば、なお潮勢にて北に押流し、孕より二十程北方に坐らしめたり。これ今日の比島なり。』*14

高岡郡仁井田郷の高岡神社は四国の中央にあったが地震地殻変動で南端になったという伝承

[土佐古今の地震]<寺石正路著、土佐史談会、大11>

高岡郡仁井田郷の古伝

 高岡郡仁井田郷には県社高岡神社あり (中略) 太古四国未だ分れざる時伊豫の二名洲と呼ばれし頃孝霊天皇の皇子彦狭嶋命此地の二名洲の中央に当たるより封ぜられて居給ひし所なるが後白鳳地震の時南部大地一時に陥没して地形変換し今は四国の中央たる釣合を失ふて却て南端に偏する僻地に位するに至れりと』(前掲*11参照)

 朝倉 (高知市) から東は野市 (香南市) まで海となったという伝承

[南路志]<武藤致和筆、高知県文教協会刊> 

『東淇文集に云白鳳の地震に孕山浪に打切今東西孕山と成朝倉より東ハ野市迄海となれりとかや』*15

ご神体や仏像が白鳳地震の際に海辺に漂着したとの伝承

・改田の金毘羅 [補訂十市村古事考]<山本笹樹著、昭46>(前掲*14参照)

・小矢井賀の白王神社 [上ノ加江町史]<編集委、昭31>(前掲*15参照)

・観音寺 [陋巷浅説]<久松三助清秋筆、「須崎史談21」所収>(前掲*13参照)

白鳳地震の影響で寺社が移転してきたとの伝承

・入野の大方山長泉寺 [大方町史]<編集委、昭38>*16

長岡郡三和村里改田字琴平山琴平神社 [高知県神社誌]<竹崎五郎著、昭6>(前掲*16参照)

高岡郡浦の内村奥浦東分字鳴無の鳴無神社 [高知県神社誌]<竹崎五郎著、昭6>(前掲*16参照)

時代はわからないが白鳳地震の話であろうとされる伝承

[補注、幡南探古録]<亀井釣月著、沖本樵児補>

『海嘯大に起り(中略)遠き地域に迄器具舟船などの漂ひ至れる等の口碑各所に伝はるあり、即下の加江荒倉山のコガン峠、大浜のサラン峠、爪白沖のイデ崎、西泊の大嶋、宗呂の舟川、幷に幡南以外なれども奥内村の流れ越え、柏島の沈堤、石原の舟ノ川等の伝説之れなり。』(前掲*12参照)

[大内町史]<中田八束著、昭32> 

『古満目、柏島に往古千軒の戸数があり、その陸地跡が完全に海中にあると浦人は異口同音に説明する。事実三月の大潮には堤の跡が遥か沖合に完全に見える。』(前掲*12参照)

 その他

[土佐国蠢簡集竹頭]<高知県史> 

『白鳳拾三年十月十四日大ちしん浪高キ事不及申当御郡上山郷ノ内片平と申所ニ半身魚掛居申ニ付片魚村と申同入野郷八町山ニ舟ノ梶八町掛り八町森と申候又上田口村ノ南田野浦境山浪流越此山ヲ流越と申候』(前掲*13参照)

 以上、おしまい。

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